【 概 要 】−清峯寺が何時頃から信仰を始めたのかは判りませんが比叡山延暦寺(滋賀県大津市)や長滝白山神社(岐阜県郡上市:当時の長滝寺)と深く関係し大寺院だったそうです。中世に入ると領主である姉小路古川家の菩提寺となり篤く信仰されました。姉小路氏は南北朝動乱以降飛騨国司に任ぜられましたが、ほどなく、小島氏・古川氏・向氏の三氏に分かれ次第に対立するようになり、特に宗家は小島氏だったものの京都を本拠としていた為、飛騨国内を本拠とした古川氏とは相いれないものがありました。室町幕府は小島氏の方を重用した事から当時の当主姉小路(古川)尹綱は飛騨国守護の京極家を中心とする幕府軍から討伐軍が派遣され尹綱は討ち死、清峯寺は庇護者を失っています(古川氏の名跡を継いだ姉小路昌家は京都を本拠としたようです。その後も姉小路氏三家による争いが続いた為、守護職京極家の台頭を招き、その京極家も中央での争いにより飛騨国を去り三木氏の台頭に至りました)。その後清峯寺は再興されましたが往時には及ばず、江戸時代には円空上人が当寺に滞在し、十一面千手観音像、聖観音像、竜頭観音像の3躯を彫刻しています(3躯共に岐阜県指定重要文化財)。
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