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【 概 要 】−宗猷寺は江戸時代初期に当時の高山城の城主金森重頼と弟である金森重勝が、父親である金森出雲守可重の菩提を弔う為、妙心寺前住で飛騨安国寺を再興した南叟宗安禅師を迎えて創建した寺院です。金森出雲守可重(法名:徳応院殿雲峰閑公)は元和元年(1615)に京都伏見で死没し大徳寺(京都市北区紫野)に葬られ墓碑が建立された事で、領内菩提寺として宗猷寺が創建されたと思われます。当初は開祖の南叟宗安禅師が再興した安国寺に因み新安国寺と呼ばれていましたが、後に山号は金森重頼の法号「真龍院殿」に因み「真龍山」、寺号は重勝の法号「徽雲宗猷居士」に因み「宗猷寺」に改めています。第21代郡代小野高福は山岡鉄舟の実父だった関係で鉄舟は幼少期から青年期にかけては高山で育ち、宗猷寺15世俊山禅師に学問を学んだとされ、境内には両親の墓碑や鉄舟が奉納した観音堂があり、鉄舟が宗猷寺の梵鐘を一人で下ろそうとしたとの伝説が伝えられています。 |
宗猷寺(高山市):周辺の見所 |
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