【 概 要 】−神岡城は戦国時代に武田家の飛騨の拠点として築かれた城郭です。神岡城は越中国(現在の富山県)に通じる越中街道(飛騨街道)の要衝にある事から越中侵攻の拠点になったと思われます。当時の領主江馬氏は武田家の後ろ盾を得て飛騨地方に大きな版図を築きましたが元亀2年(1571)に松倉城の戦いで江馬康胤が春日山城の城主上杉謙信に敗れた事で衰微し元亀4年(1573)に武田信玄が死没した事で、武田家と上杉家との両属関係となりました。天正4年(1576)に上杉謙信の飛騨侵攻により完全に上杉方に転じましたが、天正6年(1578)に月岡野の戦いで織田勢に敗れた事で織田信長に転じています。天正10年(1582)の本能寺の戦いで織田信長が自刃した事で、飛騨国が不安定化し、その機に乗じて織田方の三木氏(姉小路氏)と八日町の戦いを臨みましたが敗北し、神岡城は三木氏の手に落ちました。しかし、天正13年(1585)、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣となった金森氏の飛騨攻めにより三木氏が滅び神岡城には金森氏の家臣山田小十郎が城代として入りました。金森氏は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで東軍として行動した功により高山藩を立藩し、神岡城を引き続き管理下に置いていましたが元和元年(1615)の一国一城令により廃城となっています。
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