岐阜県・揖斐川町・横蔵寺

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【 概 要 】−横蔵寺(岐阜県揖斐川町)は平安時代初期に天台宗の高僧として知られた伝教大師最澄が比叡山延暦寺(滋賀県大津市)の本尊を彫刻した際、同木からそっくり同じ薬師如来像を彫刻し、自ら笈を背負い当地まで運んで一宇を設けて創建したと云われ、地元の有力者と思われる三和次郎大夫藤原助基が境内を整備しました。由緒は、伝説の域を出ないものの、木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)、木造大日如来坐像(国指定重要文化財)、木造四天王立像(国指定重要文化財)、木造十二神将立像(国指定重要文化財)、木造深沙大将立像(国指定重要文化財)、木造金剛力士立像(国指定重要文化財)、板彫法華曼荼羅(国指定重要文化財)など数多くの文化財を所有している事から平安時代末期から鎌倉時代にかけては大きな勢力がある古刹だった事が伺えます。戦国時代に織田信長の侵攻により一山焼き討ちとなり、これ以前の記録が焼失しています。同じ頃、本寺である比叡山延暦寺も信長の焼き討ちにより本尊が焼失した為、同木、同体、同作者(伝教大師最澄)である横蔵寺の本尊が延暦寺の本尊として遷され、代わりに洛北の御菩薩池から本尊が横蔵寺に遷されています。江戸時代に入ると円山の頂上付近から現在地に境内を移し徳川家康の庇護により再興が進み、特に本堂と三重塔、楼門は古建築物として貴重な事から岐阜県指定有形文化財に指定されています。地元出身の妙心法師が文化14年(1817)に断食修行の山梨県都留郡鹿留村で末即身仏(ミイラ)となり、明治23年(1890)に出身地で名刹だった横蔵寺に遷され境内にある舎利堂に安置されています。
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横蔵寺(揖斐川町):周辺の見所

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