岐阜県・揖斐川町・華厳寺

  岐阜県の観光と歴史的建築物(ホーム)揖斐川町>華厳寺
【 概 要 】−室町時代末期の永禄3年(1560)に華厳寺(岐阜県揖斐川町)の由緒として編纂された「谷汲山根元由来記」によると、平安時代初期の延暦17年(798)に陸奥国会津黒河郷富岡(現在の福島県大沼郡会津美里町)出身の大口大領が修行の末に得た霊木を持って京都の名立たる仏師に観音像の制作を依頼しました。観音像が完成し、会津に帰国の途に就くと観音像は自ら笠を被り、草履を履き、錫を持って歩き始めましたが、美濃国赤坂(現在に岐阜県大垣市)に差し掛かると観音像が突然全然歩かなくなりました。大領は観音像の足元で夜を明かすと、夢の中に観音像が現れ、ここから北方5里に私が収まるべき場所があると告げ姿を消しました。翌朝、大領が御告げに従い、その場所に尋ねると黒く臭い水(原油)が湧き出す不思議な所を見つけた事から、この場所が御告げの場所に違いないと思い、急いで小さな庵を設けました。庵が完成すると観音像は再び歩き出し、完成した庵に収まったと記載されています。その後、たまたま近くで修行していた豊然上人に協力を頼み寺院として整備され延暦年間(782〜806年)には寺観が整ったとされます。その話を聞き及んだ桓武天皇(第50代天皇・在位−天応元年:781年〜延暦25年:806年)は勅願寺とし、醍醐天皇(第60代天皇・在位−元慶9年:885年〜延長8年:930年)からは山号「谷汲山」と寺号「華厳寺」の扁額を賜り、朱雀天皇(第61代天皇・在位−延長8年:930年〜天慶9年:946年)からは寺領1万5千石を安堵、花山法皇からは西国三十三箇所霊場の満願所に選定されています。
スポンサードリンク

華厳寺(揖斐川町):周辺の見所

華厳寺 月桂院 横蔵寺

 ※ 当サイトへの相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。又、回答はあくまでも当社の考えであって1つの参考意見です。ご自身の責任でご判断下さい。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当社は一切責任を負いません。又、回答を直接的(当社の名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。 尚、リンクは自由ですが画像(写真)や文章等の利用は遠慮させていただいております。御理解の程よろしくお願いします。