【 概 要 】−馬籠宿(岐阜県中津川市)は慶長6年(1601)に開削された中山道の宿場町として整備されたもので、天保14年(1843:中山道宿村大概帳)には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒、家屋数69軒を数えました。江戸日本橋から43番目の宿場町にあたり当時木曽街道と呼ばれた11の宿場町で一番南側(唯一の岐阜県)に位置し、隣の宿場町である落合宿との間には十曲峠と呼ばれる難所が控えていました。馬籠宿の本陣は島崎藤村の生家でもある島崎家が代々世襲し、脇本陣には蜂谷家(屋号:八幡屋)がその任にあたりました。島崎家は隣の宿場町である妻籠宿の本陣職を担った島崎家と同族とされ、何代にも渡り血縁関係を結んだ特異な一族だったとされます。明治時代に入り宿場制度が廃止になると衰微したものの、本陣、脇本陣、永昌寺、大黒屋(馬籠宿の問屋、造り酒屋、藤村の初恋の人「おゆうさん」の実家)をはじめ、明治時代中期までは馬籠宿としての古い町並みが残されていましたが明治28年(1895)と大正4年(1915)の大火で殆んどが焼失しました(本陣の一部、隠居場などが現存しています。)。現在見られる町並みや後年再建されたもので、当時のものは石畳や枡形、水路だけですが、町並みの修景や高札場、水車などが再現され多くの観光客が訪れています。又、島崎藤村が馬籠宿の出身だった為、作品の中で度々馬籠宿と思われるシーンが描かれ、特に代表作の1つでもある「夜明け前」は正に馬籠宿が舞台となっています。
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